食物の嗜好
人には食べ物の好き嫌いがありますが、好き嫌いの多い人について、子供っぽいとか、食わず嫌いと想定し無理やり食べさせたりとかする人が多いらしいです
私は家庭科や食品に対する知識は皆無ですが、心理学の心得がちょっぴりありますのでこれを言及したいと思います
まず、嫌いな食べ物が生じる理由には、私の知る限りでは2つあります(当然の前提として、アレルギーは嫌いな食べ物に含みません)
①生理的に無理
人体が本能的に拒絶するパターンです
主に酸味・苦味が該当します
例えば酸味は、腐敗した食物から感じ取られる味と合致しており、これを嫌う方は多いのではないでしょうか
苦味も毒物と同じ味であり、慣れない限りは不快な味です
これを克服するには、経験が必要です
「これは酸っぱいor苦いけど、食べても大丈夫」とわかる必要があります
文字通り、酸いも甘いも経験した方ほど、これらの味が平気になる(感覚が麻痺する)ようです
②学習の結果無理
①とは異なり、経験によって拒絶するパターンです
例えば、嫌う人が多い食物の一つに茄子が挙げられます
「秋茄子は嫁に食わすな」の格言のとおり、茄子はおなかを冷やし下痢を誘発したり、子宮を傷つけたりする作用のある野菜です
「茄子を食べる」→「下痢になる」→「茄子が嫌いになる」
これは学習によって導かれた嫌悪であり、パブロフの犬に同じです
パブロフの犬は、ロシアの心理学者パブロフ氏の犬が、食事前にベルを聞かされていたところ、ベルの音を聞くだけで涎を垂らすようになったというエピソードです
「ベルの音が鳴る」→「食事が提供される」→「涎が分泌される」
茄子もベルも、真ん中のセクションを取り払っていただくとわかると思います
「茄子を食べる」→「茄子が嫌いになる」
「ベルの音が鳴る」→「涎が分泌される」
というわけで、茄子が嫌いな人は、茄子を食わず嫌いしているわけではなく、茄子を食べた結果を経験したから嫌いなわけです
これは、パブロフの犬のベルと同様に、直接的な理屈は関係ないのです
「ハンバーグを食べる」→「ハンバーグが嫌い」
は、一見してどこが嫌いなのか、ミンチが嫌いなのか、とか聞きたくなりますが
「ハンバーグを食べる」→「父親に殴られる」→「ハンバーグが嫌い」
のように、全然関係ないことで食べ物が嫌いになることは多々あります
食べ物に限らず、例えばホテルに泊まっていたら盗難にあったため、ホテル、あるいは外泊が嫌いになるなど、経験によって嫌いになることは無数にあります
なんでホテルが嫌いなの?と聞くことで、トラウマを思い起こさせてしまうかもしれませんね
嫌いなものでなく好きなものを語るようにしたいですね
ここからは私は勉強不足なので個人的意見ですが、経験によって得られた嫌悪は、なかなか回復しないと思います(心の強い方々は大丈夫かもしれませんが)
ハンバーグの例だと、そもそも殴られたことによるダメージを、脳が「これはハンバーグを食べたせいだ……」と転嫁・逃避することで心を守っているので
「これ食べても別に大丈夫じゃね?」ってなっても、別の問題が出てきてしまいそうで、じゃあハンバーグが嫌いってことにしておいた方がよさそうです
嫌いな食べ物がある人に、思考停止的になんで嫌いか聞いてしまうのをやめたい